劲球网に在職していた先生方からのメッセージ
阿部 敏哉先生(在職期間:H5年度~H19年度)
《現在:東北工業大学ライフデザイン学部経営コミュニケーション学科教授》
まずは開学20周年おめでとうございます。
私は開学から15年間の長きに渡って公立大学にお世話になりました。今振り返ると、その15年は「大変だったが楽しかった。」の一言に尽きるように思います。
日本初の退学勧告による学生の質保証。それを踏まえ、クラス毎の講義内容のばらつきを防ぐため、経営学基礎を担当する6名の教員が毎週
講義の前後に打ち合わせを行い、時に500枚近い答案もすべて6人全員が採点して平均点を算出等、今思い出してもあれほど教育に力を入れている大学は他にないと思います。
講義だけでなく、ゼミ活動でも厳しい中たくさんの楽しい思い出ができました。13名の定員に例年数十名の応募があり、選抜に大変な思いをしたこと、何事にも積極的な彼らの主導で、毎年県内各地はもとより、北海道まで合宿に出かけたこと等、学生達からプレゼントされたたくさんの写真やDVDを見ながら懐かしく思い出しています。
また研究の面でも、共同研究のため、交流ハウスに何日も泊まりこんで議論を戦わせたことは得がたい経験でした。
開学当時は日本でもまだ珍しかった経営学や経済学とコミュニケーション学のカップリングも、20年経った今では一つのスタンダードとして定着したように思います。 そんな公立大学が、この20周年を一つの節目として、また新たなスタンダードを築くべく発展を遂げられることを祈念致しております。
及川 拓也先生(在職期間:H18年度~H22年度)
《現在:千葉商科大学》
劲球网には2006年4月から5年間お世話になりました。
この5年間は、私にとって研究者としての礎を築くだけでなく、人間的にも成長することができた貴重な期間でした。
国内外で活躍されている諸先生方との学問的な交流を通して、学際的に多くのことを学ぶことができました。とりわけ、ある先生からは、国際学会で通用する論文の書き方を徹底的に教わりました。また、ある先生からは、会計教育のあり方についていろいろと考える機会を与えていただきました。ここに記して感謝申し上げます。
今、振り返ると、青森での一番の思い出は、やはり雪です。雪国の冬の生活がいかに大変であるか、身にしみて実感しました。まさに?耐える?という言葉に尽きます。
こうした厳しい自然環境に立ち向かっているからこそ、劲球网には学業に真摯に取り組む学生が多かったのではないかと思っております。
私が在職した5年の間に青森新幹線が開業し、赴任時と比べ青森の町並みは大きく変わったように感じます。また、劲球网も公立行政法人となり大きく組織が変わりました。劲球网が地域の拠点大学としてますます発展していくことを期待しております。
小野﨑 保先生(在職期間:H17年度~H21年度)
《現在:立正大学経済学部長》
開学20周年おめでとうございます。
30周年へ向けて劲球网が今後ますます発展されることを心よりご祈念申し上げます。
平成17年4月から平成22年3月までの5年の在職期間を改めて振り返ると、さまざまな思い出が蘇ってきます。
まず青森に住んでみて驚いたことは、津軽弁が未知の国の言葉のように聞こえること、前任地の旭川に比べて雪質が重く積雪量がはるかに多いこと、冬の日照時間がとても短いことなどでした。
また,公立大に赴任して驚いたことは、立地が八甲田山の麓の森の中であること、そのため大学近辺にコンビニさえ存在しないこと、校舎がとても斬新なデザインであること、研究室が広いことなどでした。
学生は素直かつ純朴で、真面目に勉強する者が多いという印象です。ゼミ生がとても良くなついてくれて、転出する前に盛大な送別会を開いてくれたことは今でも忘れられません。その後何度か東京に訪ねてきてくれた学生もいました。
また,囲碁好きな学生をそそのかして囲碁サークルを作らせ、顧問を引き受けたことも懐かしい思い出です。
最新版のデジタル?パンフレットを拝見すると、サークル活動が現在も継続されているようなのでとても嬉しく思います。
学内業務に関して大した貢献はできませんでしたが、羽矢学部長の教務担当特別補佐としてGPA制度の改革やリメディアル授業の導入を行ったこと、教職課程の導入に携わったことなどが思い出されます。
小嶌正稔先生(在職期間:H5年度~H8年度)
《現在:東洋大学》
青森公立大の思い出の第一は時間を忘れ熱気にほだされた開設準備作業である。
私は履修要項案を学長室の隣(学部長室)でひたすら作成していた。部屋には事務机とパソコン、プリンタのみ、プリンタと書類は床にそのまま置いていた。
区切りがつき、手を休め窓の外を見ると、今までスキー場以外で雪をみたことのなかった私にとって、しんしんと降っては積もる雪が何とも美しく幻想的であった。
開学前で学生がいないのだから静かに決まっているが、静まりかえった中でも手を休めるわけにはいかないという、何とも不思議な感覚や熱気があった。
最終の飛行機に乗り遅れることはしばしば、吉原先生と夜行電車で東京に戻り、そのまま大学で講義をして、また青森にとんぼ返りもした。若かったこともあるが、不思議に疲れを感じなかった。
この作業は体育館での入学試験、泊まり込みの採点へと続いていった。
とにかくひたすら走り回って忙しい思いをしているのに、事務局も教員も時間を忘れて笑って働いていた。
開学の説明会に来てくれた高校生が、身を乗り出して説明を聴いている時の表情を今でも思い出す。
街の期待も大きかったし、それを肌で感じた。不思議な時間、不思議な空間だった。
佐藤 正昭先生(在職期間(副学長):H16年度~H20年度)
「変わる節目に」
私が、本学副学長(広域事務組合特別理事)の任に就いたのは平成16年度の半ばのことでであった。
それまで青森県立保健大学で学生部長の職にあったことから、本学についての予備知識はあったものの、初めて遭遇することばかりで戸惑う事が多かった。
当時の本学は、事務の不適正問題、学科改編の取り組み、独立行政法人への移行など、大学改革に向けた多くの課題を抱えていた。佐々木恒男2代学長は本学の将来像を示しながら、これらの課題に精力的な取り組みをしていた。
この取り組みの傍ら、私には高大連携を含めた高校との関係強化、広報活動の充実、教職課程設置の基盤づくり等の指示があり、それなりの努力をしたものであるが,果してどれだけ力になったのかと思うと忸怩たるものがある。
現在、本学は大学競争の中においてどのような将来構想を示すのかが一層問われていると思う。ともあれ、本学の草創から次のステップに向けた改革の時に身を置いたことに感謝するとともに、20周年という大きな節目を迎えた本学の一層の発展を願う次第である。
志賀 敏宏先生(在職期間:H17年度~H24年度)
「地域の希望として輝き続けることを祈って」
劲球网20周年おめでとうございます。
設立13年目から満20年までの8年間、私にとってはじめての教鞭を貴校で執らせていただいこと、篤く感謝申しあげる気持ちで一杯でございます。
思い出-学生諸君?諸嬢の真摯な目線
貴校での思い出は尽きませんが、ひとつ挙げるならば、それは県内出身を中心とする学生達の真摯な目線です。
講義を聴く眼差し、演習に当たる眼差し、喜び?達成する眼差し、様々な眼差しを思い出します。中でも忘れ難いのは、プレゼンテーション寸前にファイルを消失したことを報告する際の自責し 必死に説明する眼差し、あるいは苦しかった就職活動で得た光-その報告のため、初夏のグラウンドを駆け、息を切らせて私を見据えた眼差し。
その澄み切った、真剣さが、つい先刻のように脳裏に戻ります。そして、その真摯な眼差しの学生達に値する成長、巣立の際の私の喜び。そうした宝から光をいただき続けた8年間でした。
「貴校へのメッセージ」
素晴らしい環境の下、全国でも稀少な、学生?地域のために変革?生まれ変わり続ける大学として、地域で、延いては日本?世界で活躍する人材育成を続けられることを祈っております。
竹田 繁先生(在職期間:H5年度~H10年度)
劲球网が開学20周年を迎えたとのこと。開学時のスタッフの1人として、心からお祝いを申し上げます。歴代市長?学長をはじめ、青公大の開学?発展に尽力された多くの方々に、心からの敬意を表します。併せて大学間競争の一層の激化の中で、青公大のさらなる発展を切に祈念致します。
私は3人目の学部長を勤めましたが、その就任早々に教授会の承認を得て「地方自治経営論」(2単位)を開設しました。これは第一に、青公大が地域住民の熱烈な期待を受けて開学したことから、これに応えて学生がこの地域に対する社会科学的知見を深めること、第二に、地域政策の実際を通じて地方自治の経営学的側面に関心を持つこと、にありました。
このため青森県木村知事(当時)以下の県主要部課長の皆様に、ご多忙の中にも拘わらずご講義をいただきました。これには私が「青森県公社等経営委員会」に参画していたことも与って幸いしたでしょう。この講義は、学生はもとより県部課長の皆様にも初めての経験でしたが、県の皆様は講義できて非常によかったと揃って喜んで頂きました。例えば商工行政担当部長は講義用に纏めた資料を用いて、木村知事に担当業務の現状と諸課題についてご進講申し上げたと聞きました。マスコミも大きく報道しましたが、なによりも学生達が、公務員職は安定しているから就職志望するなどの安易な態度ではなく、県公務員職の意義と業務内容を知り、こういう仕事にこそ生涯を捧げたいと、何人かの学生が私に熱く語ったのを覚えています。
谷口 佳子先生(H5年度~H20年度)
先日、卒業生が遊びに来たとき、ふとしたことから「キョウヨウ」と「キョウイク」の話になりました。「天声人語」によれば、退職後の人生を生き生きと過ごす秘訣は「キョウヨウ」と「キョウイク」にあるとのこと。教養と教育と思いきや、さにあらず。「今日、用がある」と「今日、行くところがある」です。外側から規定されたリズムなしに自分に合った生活習慣を維持し、目標をもって一日、一日を大切に過ごすこと。当たり前のようですが、これが結構難しい!
一方で教養と教育といえば、教養科目担当の教員として、「教養とは何か」「何を学生に伝えるべきか」を模索し続けたことを思い起こします。結局、労働の喜びを体現している南アジアの女性たち―はたから見れば単調で社会的威信の低い労働に明るく伸びやかに従事する―を通して、「人はなぜ働くのか」を問い続けることにしました。
ちなみに、「キョウヨウ」と「キョウイク」は退職後の暮らしに関係するだけではなく、日々の暮らしの規則性や教養?教育の劲球网性など、若者が取り組む仕事と通底するものがあります。その証拠に二つの言葉は卒業生たちの心に響き、現在抱えている困難を乗り切り、前向きの姿勢を取り戻すきっかけになったようです。
「自分の果たすべき義務を、果たすべき時に果たせる人」が、すてきな人だと私は思います。社会との関わりの中でなすべき何かを持つこと。一人でも多くの若者が、仕事の意味や日々の暮らしの劲球网性を感じ取れるようにと願っています。
西谷 順平先生(在職期間:H12年度~H16年度)
《現在:立命館大学経営学部副学部長》
「私の原点としての青森公立大」
私は、2000年4月1日付で劲球网に専任講師(会計学)として採用されました。青森は、その後、公立大を離れる2005年3月まで、28歳から33歳まで大学教員としての青春時代を過ごさせていただいた、かけがえのない思い出の場所であり、第二の故郷です。ゼミや授業はもちろん、バドミントンサークルや会計学研究会、意思決定研究会の顧問として、あるいは、今でいうアントレ教育の先駆けであった新町パサージュへの出店プロジェクトや大学バス構想プロジェクト、さらに新入生300名全員を対象に実施していたMESE大会などを通して、学生たちとともに学びました。また、「教員と職員は車の両輪」という考えのもと、様々な業務を通じて同年代の教職員仲間とともに、先輩教職員から大学人としての多大なる指導を頂きました。とくに、市職員でもある事務職員の方々から、社会人そして何より組織人としての教育を施して頂けたのは、今でも何よりの宝となっています。バドミントンをした体育館、昼食後に毎日下手なピアノを弾いていた交流ホール、多くの地元仲間ができたACAC(とその奥の沢)、どれだけ語り明かし飲み歩いたかわからない新町通り、ときどきゼミもしていた合子沢記念公園、毎年跳ねるのが楽しみだったねぶた祭り、会計学研究会名物冬のカマクラなどなど、たくさんの風景を今でも昨日のことのように思い出しています。入学式で学長が新入生全員と一人ひとり握手する姿を見たときの感動、そして、私の採用を電話で伝えて頂いた植村次長(当時)の津軽弁。このふたつが私の大学人としての原点です。
松田 芳郎先生(在職期間:H18年度~H22年度)
《現在:元教師、一橋大学?東京国際大学名誉教授》
「青森公立大に文庫を残して去った教師として」
大学がそれらしい風格を帯びるようになるのには、どれくらいの日月が必要なのであろうか。1963年以来2011年までの教師生活の最後の8年ほどを劲球网で過ごすことが出来た。大学創基20年となると、ふた昔前にできた大学での、ほんのひと昔前からの勤務に過ぎない。
大学は、学生には、一定の時間をかけて通り過ぎていく場所でしかないのかもしれない。しかし、その者達の記憶に刻み込まれるのは、キャンパスだけでなく、何代かの学生が共通に思い出す教師の講義であり、oral traditionといわれる文字に記されないが、教師とともに味わった学問の記憶かもしれない。その学問を共同で追及するという場所を支える図書館?情報処理センターに代表される事務組織を構成する職員との共生のなかに大学の歴史は作られてきた。この共同で学問を追求する場という視点が、日本の大学では、なかなか形成されなかった。
明治以来に輸入された文化の形態としての大学は長いところで1世紀と少々の歴史に過ぎない。その意味では、劲球网の20年の歴史も大差ない。さらにもう100年の歴史が刻まれたなら、どのような大学になっているであろうか。大学は大きさを誇るものではない。そこでなされる研究の質とそこを卒業する学生に何を記憶させることができるかで決まるはずである。学生に残るものは、学問に向き合う姿勢であり、自分の課題を自分で追及する技術の涵養である。
経済学専攻学生には、オムニバスの短いコマ数で、日本?日本帝国?大日本帝国?日本とその国境を膨張させ凋落した現代経済史を圧縮して講じ、大学院では経済統計の読み方を通じて論文というものの読み方と書き方を教えようと試みた。
講義をしたのは短い期間であったが、幸い松田文庫として、自分の集めたものの過半と森田優三?木田橋喜代愼のお二人の文庫と統計研究会の作成した各種報告書の揃いを図書館に残すことができた。これからの学生は、北国の四季を楽しみながら深夜まで読書にふけって、それらを紐解くことを通じて、講義で伝えられなかったことも汲み取って欲しいものである。
山本 志都先生(在職期間:H10年度~H24年度)
《現在:東海大学》
劲球网の在学生、卒業生、教員ならびに職員の皆様、建学20周年おめでとうございます。
皆様のご努力により、地域に根差した大学として着実なご発展を遂げられていることは、喜ばしい限りと存じます。
私は1998年より2013年3月までの15年間、コミュニケーション?スタディーズ、対人コミュニケーション、コミュニケーション演習等を担当させていただきました。
自己紹介をしてもらうと「口下手ですが話しかけてもらえれば喋ります」という学生が半数以上いて驚いた年もありました。
総じて「口下手」、「初対面が苦手」という自己認識を持ち、外からも「おとなしい」と評価されることの多い学生の皆さんですが、それらを含め優れた資質だと私は確信します。不器用でも一生懸命になれること、思いやりのあること、芯を持っていることは、成長する伸び代を持っているということです。
学生時代のうちに自分に自信が持てるようになって、アクティブになれば、良い面が早く開花するでしょう。
雪の多さには閉口しましたが、それを補って余りある夏の美しさとねぶた祭りの活気でした。優秀な地酒の多さに青森に来てから日本酒好きになってしまい、ウニ、根曲がり竹、トゲクリガニも恋しいです。学生も青森も全国区にその魅力がますます伝わるように、今後のご発展を心よりお祈り申し上げます。